地域包括ケアの成り立ち

以前の記事にも書きましたが、地域包括ケアとは病院や介護施設のシステムをそのまま地域まで広げたイメージだとお伝えしました。

 

地域包括ケアは、1970年代に広島県尾道市にある「公立みつぎ総合病院」(当時は「御調国保病院」)の山口院長が在宅医療を始めた際にスタートした取り組みにあるとされてます。

 

 

当時の尾道市では癌の発見が困難で脳外科が無く、先端医療を受けられない環境であった為、長崎大学から帰ってきた山口院長は医師会と協力して病院の設備を整えていったそう。

 

次々と患者が運ばれ、治療が行えるようになったのは良かったものの、病院のベッドは限られており、入院患者は後を絶たずベッドが足りない…。

 

病院のベッドを眺めていると、患者の多くは「寝たきり老人」である事に気づくわけです。

 

そこで山口院長は、

「頻回に治療を必要とする必要のある患者以外は自宅に戻ってもらい、そこへ医師が通えば、病院のベッドが一杯でも治療が行える。」

つまり、「自宅のベッドを病床にしよう」と考え在宅医療に踏み切ったそうです。

 

当初は、「医療の出前」(訪問看護や訪問リハビリ)から始まったものの、

 

「治療をしても、また再入院となる」「そもそも余り健康に対する意識が低い」

 

といった地域課題が浮き彫りとなり、

 

「保健福祉センター」の開設や「健康づくりのイベント開催」「寝たきりゼロ作戦」の実行など、行政や住民と協働して連携を図り、地域づくりを進めていくとともに、

 

地域に必要な介護施設等をどんどん作っていったそうです。

 

当初は

「どうして病院のスタッフが家までくるのか」

「他人に家をのぞかれたくない」

「他人の世話になりたくない」

のような患者の声や開業医から「患者を奪うのか?」といった声もあったそうで、その都度対応策を考えていかれたとのこと。

 

活動を始めると叩かれるのは常ですもんね。

 

地元の開業医には「往診」によって開業医の仕事を奪うのではなく、地元の医師との連携が重要であると考え、病院側で往診は行わず、退院した患者については地元の開業医が担当するように仕向ける事で寝たきり高齢者の数を減らす事に成功したそう。

 

やはり地域の開業医さんにも「寝たきり高齢者」が地域課題としてあることを意識して取り組んでいくようなシステムを作ったからでしょうかね?

 

在宅で療養している高齢者やその家族は,医療だけではなくいろいろな問題点を
抱えていることがわかってきたそうで、そこに登場するのが「福祉にかかわる問題」だったそうです。

 

医療と福祉など制度が分かれており、行政の間でも縦割りであった所を、住民の後押しを受けながら相互連携を図れるよう体制を整えていったとのことで、地域住民の理解を促進させ、住民参加と助け合いの街づくり発展させていった成果が行政の縦割りを超えていったようです。

 

地域包括ケアというものは、そもそも「医療」から派生したものであるということを忘れてはなりません。

 

介護保険医療保険破綻を免れるために作られた、いわゆる「子会社」的立ち位置なわけです。

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医療や介護の制度は同じ川の流れに例えられることもあり、医療を「川上」、介護を「川下」なんて表現することもあります。

 

しっかり繋がっているんですよね。

 

介護保険創設前(措置時代)に建てられた「従来型」と呼ばれる介護福祉施設は病院の名残を強く残しており、生活管理も施設側の生活リズムに強制的に合わせられる体制のところが多くありました。

 

それは、そもそも介護福祉施設が医療からの派生によって作られてきた歴史があるからなんですよね。

 

地域包括ケア発祥の地山口先生の書籍には更に詳しく書かれております。

 

 

次回からは病院や介護福祉施設について考えていきたいと思います。

 

ではでは。