人材確保は人がいればいいというものではない
介護のお仕事をしていると、あちこちでこんな声が良く聞こえます。
「人がたりない」
介護人材確保が国レベルで議論されている訳ですが、国家の試算では2020年代初頭までに追加的に25万人の介護人材の確保が必要だと考えているようで、このままでは2025年には約38万人の需要ギャップが生じるとされているようです。
いや、ちょっと待って。
日本の人口推移を把握されているであろう方々はこの図を嫌と言うほど知っているはず。
(日本の総人口の推移:出典 総務省統計局)
…まぁ、あきらかに減ってますよね。人口。
そう、知っての通り私たちは日本の人口減少時代に生きている訳です。
人口減少する中で、今よりも多くの介護人材が必要になるという事は、システムの見直しをせざるを得ない状態に追い込まれているという事ですね。
約38万もの需要ギャップについては、現在の現行法をそのままにした場合の推計である事から、介護人材供給増だけではなく「介護人材の需要が妥当かどうを検証し、ケアの質を高めより効率的な提供体制とするような介護人材の需要側施策についても検討必要がある。」と言われています。
詳しくはこちらをどうぞ↓
平成28年度厚生労働省老人保健健康増進等事業 介護人材の需要推計に関する調査研究報告書
簡単に言うと、「日本は人口減少しているんだから、他の産業と取り合う前に、もっと効率化して少ない人数で何とかできるようになりなさいよ」と言う事ですね。
こう言うと大抵「人手が足りないと言っているのに何てこと言うんだ!」と感情論にもなったりしがちなのですが、思考停止せずに話を進めていきたいと思います。
私は極論を言うと人は少ない方が良いと思っています。(極論ね、極論)
- 少ないスタッフ=質の低いケア+人件費の抑制
を連想されがちですが、人が多い方が良いサービスが出来るというのは、
- 良いサービス=大勢の介護スタッフによるケア
という事になりますが、本当にそうでしょうか?
例えば、コンビニに20人の定員がいても邪魔なだけでしょうし、人が多いという事がそのまま良い支援に繋がるなんてことはありません。
施設やデイサービス等の箱モノサービスにおいてPRされる「私の事業所は人材を規定より多く配置しているので」と言うセールスは決して良い売り文句ではないと思っております。
ちなみに少なすぎは論外です。論外。何事もやりすぎは良くないんです。
上記でコンビニを例に出したので、そのまま例題として活用しますが、コンビニに常時20人いたってとんでもなく人件費がかかるだけでなく、それぞれが仕事の邪魔なだけです。
レジなんて2人から3人で対応できるのに、6人も7人もいれば、それぞれの無責任になり、緊張感がなくなり、私語をしてまうようになり、無駄な仕事を疑問を持たずに続けるようになってしまうでしょう。
それはつまり、「責任の分散であり、余裕からくる緩みであり、私語の発生であり、一切効率化を考えなくなること」と言えます。
「私の事業所は人材を規定より多く配置しているので」と言われる事業所の方々は「一人一人が力を出し合って、スタッフが少ない所より、確実に良いサービスが出来ている」のでしょうか?
私はそういったPRの方が良いと思うのですが、なぜかそういったPRは聞いたことがありません。
人数が多いときは、通常のサービスより+αのサービスを産み出す必要がありますが、現実は、人数が増えた当初はそれが出来たとしても、月日とともに、結局通常のサービスを増えたスタッフ同士でワークシェアリングを行っているだけの状態に戻ってしまいます。
そして人が減った時には以前出来ていた事を「無理」とかいうわけですね。(個人的経験則)
財政難で人材不足と言われる中で画期的な事は「いかに少人数で素晴らしいサービスを提供できるか」という事になります。
シェアするのは仕事がシェアされて楽になるだけならまだよいのですが、介護保険制度の中では施設や事業所ではある程収入に上限があるので、入ってくる収入も人が増えるとシェアされる訳です。
つまり「人を増やしてくれ!」と言うのは「給料を下げてくれ!」と言っているようなものなのですね。
介護技術と言われるのは何も食事や排泄・入浴介助やボディメカニクス理論等の直接的支援技術だけではなく、量的問題を解決するだけの技とアイデアだと思っております。
「超少子高齢化社会+財政難の日本において介護の問題をどう片付けるのか?」という問題に対して、
と言った考え方及び取り組みもあるようですが、
これはまさしく介護士の「量的問題の解決」アプローチであり、EPA等で先に日本に来て技能実習をされてきた方々の話を聴くと「人間関係」「労働環境」など、日本人でも直面する問題に苦しむ場合が多いようです。
そうなると、現状を知った優秀な方は日本に来なくなるでしょう。最終的には安い賃金で多くの外国人を受け入れていくという方向になってしまうのではないかと思います。
ちなみに日本で育った介護士・介護福祉士は多国語が話せたりすると外国の福祉施設では引く手あまたで高給取りになる事が多いのです。
日本のケアは人気。だけど、優秀な人は定着はしないと。
人材確保も必要でしょうが、今、そして将来的に必要な事は介護に携わる人達のレベルアップ(単なる支援としての介護技術だけではなく量的アプローチに頼らない視点とアイデアを持った人材育成)が必要だと思うのです。
そして、経営者の方はこういった視点を持つ事が困難であれば、次々に新しい箱モノや事業所を建てたところですたれていく事は間違いありません。
全てを人手不足のせいにされる方には一度十分な人手を与えてみると面白いかもしれません。殆ど成果が変わらないでしょうから。
「人手が足りている」=「良いサービスが出来る」
ではなく、
- 「良い人材・アイデア」=「良いサービス」
なんですね。
どれだけ多くの労働者がいても、アイデアがなければ何も生まれません。
介護でいうなら「最低限のお世話しか出来ない」ということです。
ましてや、素人の介護士や今の介護教育を受けたままの介護福祉士だったら、 たくさんいればいるだけ、お客様の廃用症候群が増えるでしょう。
「人口減少少子高齢化の中で、介護の問題を解決し、今後同じ問題に直面する地域のモデルになりましょう!」といった気概を持っていただきたいものです。
その為には、現場で活躍される方には、教育を受けただけではなく、社会に出た後もしっかりと様々な知識を取り入れてよりクリエイティブな面を磨く事が求められます。
少人数での支援を確立させつつ、更に捻出した時間・人員で画期的な+αの支援・サービスを実現していく力が必要という事ですね。
その為には過剰な人員配置を再考し、業務の可視化を行い、スタッフ間での協議を進める等取り組んでいく事が沢山出てきます。
クリエイティブには素地が必要なんです。
「介護」は決して肉体労働ではなく、むしろこういった「知的労働」が求められています。
「肉体労働」として取り組むのか、
「知的労働」として取り組むのか、
どちらが良いと思われるかはあなた次第。
ではでは。