アート教育が今、子供や地域に必要な訳
愛知県立大学の藤原智也准教授のお誘いで、名古屋市内で開催された美術科教育学会主催の「美術教育シンポジウムin名古屋」へ参加してきました。
シンポジウムのテーマは「アートを通した子どもの学びと地域社会との関わり~コミュニティデザインの視点から構想するこれからの美術科教育~」。
私は午後からの参加だったので、実践発表からの参加でした。
実践者発表は美術の先生が中心で、学校教育の指導要領の解釈から、美術教育を通じた地域活動への展開をそれぞれの発表者がプレゼンするという形式。
さすがに皆様先生だけあって、こちらが授業を受けている感覚になりますね。
愛知県立岩倉総合高等学校の高橋承一先生の話では、「岩倉市から河川敷の高架下コンクリート部分の壁画制作を依頼された」事から始まる「美術教育によって高校生が培う力」というお話。
この岩倉市からの依頼は、そもそも、岩倉市にあるこの河川敷は花見の名所であるものの、橋のかかっている箇所は桜並木が途切れる場所にあり、人通りが少ないうえに、夜になると街灯もない事から、治安の悪い場所として地域の方から問題視されていた場所であったようです。
つまり、高架下の周辺の治安が地域課題として上げっていたのですね。
そこで、岩倉市と中部道路公団が資金を捻出・予算化し、橋の高架下のコンクリートに対して壁画などの制作を岩倉総合高等学校のアートデザイン系の学科へ依頼されたそう。
高校生の皆さんが制作された岩倉市にまつわる壁画を完成され、除幕式等を行ったのですが、その際に受けた学生のインタビューに先生が驚いたそうです。
学生がインタビューで答えた内容が、
「この壁画を通じて街の魅力を多くの人に感じてもらいたい。」
アートとは非常に個人的で感性に左右されやすい事から、
「学生が満足する出来のものが出来ればよい」
と考えていた先生は、
「アート制作を通じて街(岩倉市)を考えていた」学生の姿勢に
「教育におけるアートの可能性」を発見することが出来たと語っておられました。
この取り組みは、
- アート制作の依頼を受けて
- アートにおける無条件の楽しさ・ワクワク感をそれぞれが持つ
- 製作者同士のコミュニケーションの促進
- デザイン・企画を創る上での「全体を視る力」を経験・共有
- 「楽しさ」だけではなく外(地域)へ目を向けるきっかけとなる
と言った流れを通じて、学生に非言語で無自覚に地域を感じさせる事に成功したと言えます。
他の教育課程では販売などを通じて市場経験を積ませることで町を見る視点を養うのだそうです。
制作段階で、地域の方や市役所職員等の学校以外の方とも多々関わる機会を持ち、その交流の楽しみも持てたと喜んでいたとの事で、壁画制作と言うアートを通じて、地域交流をもち、「この学校にはこんな子たちがいるんだ」と言った地域に対する安心感にもつながったとお話を伺う事が出来ました。
これこそ正にアート。
あーだこーだと言われなくても非言語で無自覚に伝わっているんです。
藤原准教授のお話によると、現在の教育カリキュラムは、経済界の意向が強く反映され、英語やサイエンス等のロジック(論理)中心型教育になりつつあるそうです。
(ポストデモクラシー:経済エリートにおける政策立案等)
しかし、人間の意識は日常生活の中で約20%しかないと言われ、残りの約80%は無意識で生活を送っていると言われている中で、ロジック(論理的思考)の教育を強化するという事は約20%に対するアプローチにいかに詰め込みを行うかと言うバランスの悪いものになってしまいます。
勉強ばかり(だけ)の奴って「あいつ大丈夫?」って言われる事が多いですよね。
人間には意識しているようで意識していない(道路を歩いても道のりは覚えても、道に合った細かい建物やその造形は覚えていない)時間が長くその現象をスコトーマと呼びます。
アートは非言語で無自覚にアプローチを行う事が可能な分野であることから、その無意識のスコトーマの部分約80%に対してのアプローチが可能となります。
趣味とか気分転換もこちらですね。
これって、教育と言う観点から見たらロジックであーだこーだいう事よりも効果的で凄い事じゃないかと思うんです。
どんなに「社会貢献がー」「地域とのつながりがー」とロジックで説明した所で、「正しいけど面白くない」「いいけど好きじゃない」では頭に残るはずもなく、下手すれば拒否されてしまいかねません。
アートは逆です。
「よくわからないけど、面白い」「なんだか好き」から入ります。
そこから後付けの様にロジック(論理)やマーケット(市場)が入ってきます。
岩倉総合高等学校の例は簡単に言うと、地域課題を市町村等がロジックで積み上げてきたもの(高架下の治安が悪いから壁画制作をして欲しい)に対して、つなぎ役となる美術の先生が学生の「好き」「面白い」を接点に地域と繋げる事で相互理解が深まり、社会貢献に繋がったというお話でした。
論理性と非論理性は対照的ではあるものの、それらの特性を理解する事で繋がりを産み出すことが出きるという事例ですね。
それはつまり、美術教育には、アートを通じて「地域デザインを考えていく力」を養う力があるという事なんです。
また、教育段階の学生とロジックを用いたやり取りをすると、学業を卒業している社会人の方が強くなることは明白で、そこに上下関係が出来やすいんです。
しかし、アートを用いたやり取りだと個々の感性の問題ともなり上下関係は成り立ちにくく非常にフラットな関係性が生まれやすくなります。
つまり、一定の配慮は必要であるものの、アートを通じてたコミュニケーションを図る事で、普段は壁を感じてしまう人と人、コミュニティとコミュニティのコミュニケーション促進に繋がるというわけです。
これはシニアファッションショーのモデル講座でも同じ。
ファッションセンスに年齢は関係なく、互いのセンスを図り合いながら、対等に会話を行う事でコミュニケーションが成り立ちやすい。
自己肯定感の弱いと言われる学生にアートを通じて、ロジックの上下関係以外の世界を体感して頂くことは、地域社会へ帰った時のコミュニティ形成の促進にもつながる事から、今後、教育分野においては、よりアートの重要性が問われる事と思います。
時代は知識をストックしておけばよい時代から、それらを使いクリエイティブなものを生み出していく時代へと変化していっています。
ロジックとアートの特性を理解し、それぞれの組織における流れ
- 情報収集・分析から積み上げるロジック
なのか
- 個人の好き嫌いを集めて形成される(集団・社会的)アート
どちらなのかを理解し、それらをデザイン、マネジメントしていく力が必要であると改めて考えさせられるきっかけとなりました。
美術科の先生が学校教育をけん引するといった提言も刺激的で、やはりどの立場からでも変えて行こうとされる方がいる事は心強いですね。
結局、アート教育が必要なのは、ロジックばかりの頭の固い知識ストック型の人間は通用しなくなってきている時代だから、様々な分野にアートの視点を取り入れる事で、世界で通用人間を育てる事にもつながるし、地元に若い人が返ってくるような教育にアートは有効だよって話だと理解しております。(個人的感想)
こういった方々と一緒に仕事したいと思える時間でした。
ではでは。