数字にごまかされない為に

仕事で数字をみる事は大切な事なんだけれど、数字を追うってのは余りよろしくない。

数字は「圧縮言語」なので、その数字の意味を理解しないままにその数字を追ってしまうと、求めていたものと違う結果になったりもする。

私はよく「認知症カフェやらないの?」なんて言われたりする。

カフェ文化の発展もあり、名古屋市認知症カフェは全国有数の数。

名古屋市としては各学区に1つぐらいの形で認知症カフェがあってほしいと設置の推進を行っているようだ。

認知症カフェや、名古屋市が行う「高齢者いきいき相談」は、介護保険に繋がる前の空白の期間に社会資源と繋いだり集いの場とする目的がある。

 

「空白の期間」に閉じこもったり、どうすれば分からずに症状が進行される方も多く、早期発見、早期対応に繋げる入り口のようなものなのだが、そこにそういった当事者が来たいと思うかどうかはまた別の話。

病気や疾病、もしくはその予兆を医師が発見もしくはその疑いの予見をした場合に、その当事者に「認知症カフェ」や「高齢者いきいき相談」へ繋げる案内を行う、もしくはその病院や近隣のそういった場に繋げると空白の期間を見逃さずに済むこともある。

 

もともと認知症カフェはそうやって医療機関の協力もとはじまって行ったのだが、名古屋市のカフェでは医療機関との関係があるところが少ない場合、勿論、来られる方も相対的に少なくなる。

空白の期間を過ごす方は基本的に外の情報に触れる事が少ない。なので、近くでそういった場があってもそういった人達に情報が届かないからだ。

集まるのはボランティアや、既に繋がりを持った方々がメインとなり、空白の期間を過ごす方にはいつまでたっても情報が届かず、介護保険が必要な状況もしくは救急搬送される状態になって初めて気づき対応が遅くなる。

結果、当事者は困るだろうし、社会にとっても社会保障費の増大に繋がる。

その空白の期間を埋める場所としての「高齢者いきいき相談」や「認知症カフェ」は有効だけれど、その初期の発見がしやすい「医師」や医療関係者の働きかけが何より大事。

そもそも認知症カフェだってそうやって始まって行ったわけだしね。

認知症カフェやらないんですか?」とか「高齢者いきいき相談の件数増やさないと」と言われても、「やりたいからやる」だけでは意味が全くないからやらないのです。

それだけです。

例えば、私が認知症カフェをやるなら、地元の医師会を始め、近隣の病院をかけまわって、

「こんな方おられたら、是非紹介してくれませんか?こんな形で支援に繋がるかもしれません。紹介を受けた方は主治医の先生はやっぱりよく地域の事を知っていると感謝されることもあるかもしれません。是非お願いします。」

とか言って、まずは初期の発見を行いやすい医療機関に協力を打診し、協力OKを貰ってからスタートする(いや、したい)。

街中で「高齢者いきいき相談室」を年間通して行ったこともあるが、基本は来ない。

自分の恥部を人前にさらしたくないという心理も働くし、そんな所に当事者が来ない場合の方が多い。

医療機関に設置するのもいいが、医療機関がそういった活動を知っていて、積極的に繋げる事の方が重要だったりする。だって、医療機関だって忙しいからね。

そんな根本的な所を抑えながら運営するにも時間も手間もかかるがやるならこれかな。(もちろん、自分が行きたいという雰囲気作りなどは確実に必要)

「高齢者いきいき相談」の件数の高い低い、認知症カフェ設置数の多い少ないは、実はそんなに必要のない数値だと思っている。

それよりも中身がどうなっているのか。

  1. 地域の空白の期間の方々が足を向ける仕掛けを医療機関等と連携して構築しているか。
  2. 自分が来たいと思える、地域の人が来たいと思える場所か。
  3. 来られた方それぞれに個別に対応する能力がその場にあるか

等、カフェや相談事業に求められる根本部分を理解したうえで、その数字を見ていると、また見方が変わる。

アンケートを集計する際も「このアンケートはシステムや根本部分の大切な所を理解しているかどうか。」で質問事項は変わるので、質問内容を見ていても面白い。

数字の大小だけでは決してごまかされないようにしたいなと思います。

ちなみに、訪問介護をやっていた時は、ヘルパー20人位で事業所の売り上げが月に1200万を超えていた。

やはり質が良いと数字に直結する。その逆もまたしかり。

追い求めるは数字のその先で、それを理解するのが大事。

数字のマジックにとらわれない様にね。

ではでは。