アドバンス・ケア・プランニング(ACP)が注目されるワケ

厚生労働省国立長寿医療研究センターが推進しているアドバンス・ケア・プランニング(ACP)がにわかに注目を浴びている。

中身を見てみると、在宅支援を行っている医療介護職からすれば「今更こんなこと?」と言われる内容であったりする。

病院等医療は
①「医学的判断」
②「本人の意思」
③「家族の意向」
で、本当は①と②が普通は逆なんですけど、医療機関は「治療と生命保護」を優先させる機関なので、「治療したくないなら出て行って」スタイルである事を考えると、↑の順番になりやすい。
 
医学的判断の優先順位がトップに来ると、その判断をする人(医師)が一番権限がある訳で、病院のヒエラルヒーの成り立ちの所以でもあったりするんですね。
 
在宅では本人及び家族のテリトリーであり、意思決定については勿論、
①「本人の意思」
②「家族の意向」
③「医学的判断」
なので、在宅経験や生活の場での支援経験がある方は、「対話の場」を求められる事が多く、EOLディスカッションの機会も多い。

ただ、在宅側の欠点としてはEOLCにおけるEOLディスカッションをACPと勘違いしている人も多々見られ、その辺の理解浸透が必要であったりする。(早期の対話の機会、そこから意思決定が揺らぐこともあるという前提の理解など)
 
ACPを通じて、「約70%の方が終末期に意思決定できない状態になる」事を理解し、こういった対話の機会を増やしていけば、医療のヒエラルヒーに巻き込まれず①「本人の意思」②「家族の意向」③「医学的判断」を基本ベースとした対話が行え、本人や家族の満足度、充実感等は勿論、無駄な医療費等の削減にも繋がりWin-Winだよねって話なんだと思っている。(もちろん他にも様々あるのは承知の上で)

高度急性期~急性期で病院に運ばれた時に意思決定が出来ない70%に入る人だったらどうするか?

医療側は勿論「病院に運ばれてきた以上治療する」事が優先となる。

ただ、後で「そこまでしてほしくなかった」となってしまうと、本人や家族、医療従事者だって救われないばかりか、そこに費用も掛かっているので誰にとっても良い結果を生むことはない。

高齢になったから、障害を持ったから、病気になったからACPを始めるのではなく、日々の中で、時折「もしも」を考えて身近な人との対話をつくる事が、結局は自分自身の人生の質を左右することになる。

普段の会話から、時折にでもそんな話をして意思決定がしやすい状況を作っておく。(もちろん答えはなし)

「急性期医療に必要ない」
「在宅支援でいつもやっているから今更学ぶ必要はない」
と、突っぱねる人がいたら声を大にして言いたい。

「いや、あんたみたいなのがいるから『やろう』ってなってるんじゃん?」

そんな無理解な方が多いので、今まさにACPが注目されているのだと思う。

いきなり対話なんてできるわけがなく、一定の受け入れと慣れは必要であったりする。

そんな「対話の機会」をつくる方法としてカードゲームとして考える機会を開催するので、そこでまた新たな発見を模擬体験を通じて考えて行きたい。

ではでは。