アートとロジックを繋げるにはデザイン力とマネジメント力が必要
「最近の子は何を考えているかわからない」
なーんて言葉よく聞きませんか?
恥ずかしいのか、気取っているのか、カッコつけているのか…?
自分を装い「本当の自分」や「ありのままの感情」を表出する事が苦手な子が若い子に多いのは事実だと思います。
何故か?
それは、昨日の記事にも書いた藤原准教授のお話「英語やサイエンス等のロジック(論理)中心型教育(ポストデモクラシー:経済エリートにおける政策立案等)の弊害」が非常に影響していると思っております。
「自分がどうか?」
よりも
「他人にどう見られるか」
を気にする事を優先的に考え、
「自分が楽しい」
よりも
「相手が楽しい」
を優先し、自分を優先順位の下位に置いてしまい、その結果「自己肯定感」が低くなってしまうようです。
「他人にどう見られるか」を考えると、「こう見られたらこう、こうしたらこう」と課題抽出思考となり、それらを解決していく為に「こうしよう、ああしよう」となるわけです。
まさにロジック(論理)を積み重ねていく過程ですね。
これを繰り返していくと無難な恰好で金太郎あめのような同じ服・表情になっていきます。(多少の嗜好はあるけれど)
それを繰り返していくとみんな同じ格好になってしまって…きっとそうやって制服やユニフォームが生まれるんですね。
人間の意識できる範囲なんて生活の約20%。(合理性・論理の世界)
その約20%の表現として規律や安全などを重用する場面では制服やユニフォームは重要かとおもいますが、
残りの約80%のあなた「非合理性・非論理性」はどこへ行くのか?
学校ではロジカルシンキング(論理的思考)を求められ、地域や家庭では親や兄弟、近所の目を気にして、考えて考えて…
考える事に疲れて、無表情・無感情(鈍感)になるか、自分の感情(人を構成する約80%の非合理性・非論理性)を抑制してしまう。
「最近の若い子」はまさにそんな時代を生きているのかもしれませんね。
彼らの「楽しい」「面白い」「ワクワクする」を表現する場所はどこにあるんでしょうか?
一方、街づくりと言われる一連の流れを見てみましょう。
街づくりにおける地域課題の抽出過程を見てみると、
- 地域の様々な困り事を集める。
- その中から特に地域に影響の強そうな課題を抽出。
という過程の中に「ワクワク感」なんてありません。
「問題をどう解決するか?」なんてのは「面倒な事、厄介なことをどう処理するか」と言った思考にしかなりにくいんです。
皆面倒くさい事には関わりたくないんですよね。
あれ?
ここでも「楽しい」とか「面白い」「ワクワクする」なんてない。
それに、最初に話をした「若者の自己肯定感の低い原因」の話と構造が同じじゃないですか?
…実は、ここで必要となるのが「デザイン」や「マネジメント」なんです。
「デザイン」と「アート」を混同される方がおられますが、基本は別物です。
先日の美術教育学会でも話に上がっていたのは、
「デザイン」は様々なものを洗練させていく工程であり、ロジックの中で混沌としたものをわかりやすく提示したり、強調したり、シンプルにしたりする事で
「アート」はまず自分(個人)がそれに満足し、他者からどう見られるかは関係ないので、
ロジックとアートを融合させ整理し、伝えていく過程が「デザイン」であるとの事でした。(ここ、結構あいまいな記憶)
各種先生方の話を聴いてい居る限りでは、カタチとして起こしていく為には、更にそういった一連の流れを「マネジメント」していく必要があるんです。
学校には校則を始めとしたルールがあり、地域社会とは違う文化があり、地域の人達からは卒業生でもない限り中の様子をうかがい知る事はありません。
小中学校は地域の学生が通うので中の様子もわかりますが、高校となるとそうはいかないですよね。
高校の校内は地域から隔離されている場所と言っても過言ではありません。
そんな学校社会と地域社会を繋ぐためには、学生の「楽しい」「面白い」「ワクワクする」を、地域課題とうまくマッチングさせる発想とデザイン力、そしてそれら全体をうまくマネジメントする力が必要になります。
これからの「学校の先生」にはそういった事が求められると言われておりましたが、
「ただでさえ教育者が減少する中で、それだけの能力を持った人が教師をやるのは大変だな」と思う反面、
「そういった理解ある先生が増えてくれれば、地域も変わるのではないか」と言った期待を持持つ事も出来ました。
私の卒業校は「持ち味を生かす」事を大切にし、今考えると地域との様々な交流を通じて社会性を育んだり、表現する事の大切さを体験することが他の高校よりは出来ていたのかなと改めて思います。
これもまさに「非言語」かつ「無意識」の教育ですね。
(私の卒業校)
こういった地域との繋がりやを作れる学校に学生は集まり、自己表現・アートを通じた体感型の授業を通じて社会で活躍する人材を育てていくんですね。
このような学校はまだまだ少ないのでしょう。
介護の教育課程にもこういった取り組みをどんどん広げていってもらいたいですね。
「ボランティア」で強制的にお手伝いさせられるのではなく、「自分たちの持ち味を生かした社会貢献の場を作る授業」。
そういった学習を体験した生徒たちは、介護の現場に来ても利用者様と地域との繋がりを考えてくれるのです。
だって、自分たちが体験した事だから。
人は体験した事しか十分に理解はしないし、体験によってしか変わりません。
ロジック(説得)ではなく、アート(納得)が必要なんです。(アートだけってのも問題。何事もやりすぎはダメ)
若い子にも、接する被支援対象者にも、パートナーにも、それぞれの想いを表出できる体験を持っていただきながら自分も楽しみたいですね。
街づくりや福祉の現場ではその体験が非常に得やすい。
そんな体験をして頂ききながら、デザイン力とマネジメント力が鍛えられる「場」があるって考えただけで楽しい!☚非論理。
そういった場が増えれば、社会も活性化するんじゃないかと思うんです。
ま、結局何が言いたいのかと言うと、対極的なものを繋げるときには、それぞれの成り立ちや考え方を理解し、デザインし、マネジメントする力が必要ってことで、その流れが社会課題の解決に有効かもしれないよと言うお話です。
ではでは。